佐伯区楽々園一丁目

 「吉田行程記」に土橋と記し、江戸時代の西国街道に二十四間と長い橋がかかっていた「岡の下土橋跡」。ところが明治の終わり頃から「ミスジガワ」と呼ぶようになり、橋も「御筋橋」と変わった。
 現在は橋のあった名残として、北岸に花崗岩製の擬宝珠(御筋橋と橋名がある)が一つ残っている。